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中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田) ブログトップ
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新しい「家紋」だよなコレ 900年の時を越え黄紫紅(きむらご)の旗を掲げてみたぞい(´・ω・`) [中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]

sss-c-mini.jpg

自分達の遠い祖先は、相模国と安房国で勢力を誇ってた桓武平氏の大豪族「三浦党」一派だったようでして、
当時その陣地には、黄色、紫、紅(きむらご)の三色の色に染められた旗印が掲げられていたそうです
時代的には平安時代後期、21世紀の現在から遡ると、おおよそ900年程も昔の話です
そして我が家にもこの旗印を元にした「三つ引き両」という家紋が
「裏紋」として伝わっているということもありまして、、

miurahatakimuragou.jpgmitubikiryou-kimurago.jpg marunisanryou.jpg

自分自身が新たに興す組織のシンボルとして、
この旗印、裏紋をモチーフに、上記の稲妻3本みたいなマークを作りました
(2本だと世界史的に悪名高いナチスのSS師団になっちゃうので、そこも注意しました!)
まーそれ以外にも幾つかの個人的な想いももちろんこもっており、
その集大成として最終的にこのマークになったんですけどね
現在でいうとCIとかVIですが、昔の言い方ではまさに新たな家紋の誕生です!
何にせよ、当時の豪族や武家などの家紋の発生も、
大体がそれぞれに思い入れのある事象がベースになり、こんな感じで生まれたもんですし、、
そういう意味では全く同様のプロセスにて生み出されたマークですなぁ・・
なんだか感慨深いものがあります

【関連日記】
三浦党 房総眞田氏、郷土史などに出てくる先人達の名
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2014-09-30
中世から近世、小豪族のウチ「房総 佐奈田/眞田」先祖達の生き残りの歴史
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2012-07-19
三原眞田 / 三浦眞田の故郷 安房の三原郷
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2015-12-10-1
中世豪族 眞田氏の三原城 そして神田山の三原城山城
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2013-01-01
中世豪族 眞田氏のやぐら・磨崖{まがい}五輪塔 南房総市指定史跡
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2013-04-20-1
眞田、真田、佐奈田、、サナダという地名と名字の由来
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2009-09-20-1
佐奈田与一(眞田与一)の子孫について
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2011-07-13
房総の眞田一族にも六文銭を家紋に使う家系があります
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2011-07-13-1
【雑談所】やる夫が真田家に生まれたようです 雑談所その10 【2ちゃんねる より抜粋】
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2015-01-14-1

[中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]カテゴリ一覧
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当時の一族の当主 眞田隼人佑さんに正木信茂さんから送られた書状(古文書) [中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]

この古びた書状は、正木信茂さんという里見氏配下の有力な武将から、
当時の私達一族の代表者に送られた書状です
書状が書かれた時代は、正木信茂さんが家督を継いでから没するまでの期間だとすると、
永禄4年(1561年)頃から永禄7年(1564年)頃の3~4年の間じゃないでしょうかね
正木信茂さんは、第二次国府台合戦(市川市)の際に戦死、享年25歳でした
この書状は、一時、館山市立博物館でも展示されていました
bousou-sanada-komonjyo.jpg
この時代の私達一族の代表者、つまり「当主」は、こちらの眞田隼人佑さんのようでして、、
彼は大永・享禄の頃、つまり分かりやすく西暦にすると1521年~1531年の頃に、
当時の房総半島の有力な戦国武将「里見家」「正木家」の家臣団となりました、
そしてこの房総眞田の本家・本家筋は、正木氏に同行する形で、
平安時代末期から住み続けた安房国朝夷郡三原郷を後にして、
その拠点を当時の大多喜町(小田喜)や勝浦市に移しました
( まぁその後、また安房国の三原郷に戻ってきちゃうんですがね '`,、('∀`) '`,、 )

ちなみにこの「隼人佑」という名ですが、これは明らかに官位名でしょうね
官位からみると、正八位上となり、かなり下の位になります
しかし時代を遡ること室町時代、1423年(応永30年)の房総眞田家の当主として、
「刑部左衛門尉」を名乗る武将が郷土史に名を連ねてますし、その後に「兵部少輔」と名乗る人もいる
また、こちらの隼人佑さん以降、正木氏や里見氏の重鎮となった房総眞田の本家・本家筋の中には、
遥かに格の高い従五位下の位「信濃守」や「尾張守」「三河守」を名乗る人物も出てきました
つまるところ、この隼人佑さんの時代、私達「房総眞田」は、一族揃ってかなり衰退していたんじゃないでしょうか
平安時代の末期から350年ほどの長い間、安房国朝夷郡の三原郷の開拓領主として地域に君臨してきましたが、
戦国時代になると、かなり困窮していた様子が垣間見えるような気がしますわ
だから下克上の勢いにのった境井兄弟のような輩に、
城のひとつを占拠されるような事件(とうしろ台を占拠された史実)があったわけですしね・・
でもまぁこの後、里見氏・正木氏と組むことで、彼らの家臣となり取り込まれることで一族は息を吹き返し、
高い官位を名乗れるまでになったということでしょう
なんで官位を気にするかというと、戦国時代の官位とは、ある程度「金」や「家格」で手に入れるところがあったようで、
もはや律令制が出来た頃の面影だけが残り、官位相当として家格を表す基準のようになっていたようです
(またこの時代には、勢いで勝手に官位を名乗る武将もいたらしいです(;´∀`)アチャー)

あー、話を戻しますと、つまり隼人佑さんがこの時代の房総眞田家の当主ということになると、
ようは一族にとってはかつての栄光どこぞ!?といったことであり、家格も落ち、お金も勢いもなく・・
しかし彼の後に続く主だった一族の武将の官位が極端に上がっていることから、
隼人佑さんの代で一族の家格は一気にV字回復、つまり彼は起死回生を果たした英雄だと読み取れるんですよ

そして彼は、終生この「隼人佑」という官位を捨てなかったようですね
それは彼を雇用したことになる正木時綱(通綱)さんの時代から、
時綱さんの孫にあたる、冒頭の書状を送ってくれた正木信茂さんの時代まで、
隼人佑さん自身も若武者の頃からそれこそ年寄りになるまで実に40年以上もの間、この官位で通しているんですしね
V字回復を果たした一族の当主ともなれば、それなりに家格も上がっただろうから、
官位なんてどうにでもなるだろうになー
眞田隼人佑さんとは、実は質実剛健、そして質素を好む素朴で実直な方だったのかもしれない、、
なにより衰退していた頃の一族の、その辛かった時期を忘れない心の持ち主かもな、
それとも只々子孫が栄えてくれればいいという父性に満ちた方だったのか、、
そしてこの官位に、ひとしおの思い入れがあったのもしれませんね・・

あ、そうそう、上記の「官位」に関する考察が間違ってたらすいません
色々モノの本などを読んで、このような理解に至った次第です
戦国時代に生き、一族をまさに復興させた眞田隼人佑さんは個人的にも興味深々、
そんな彼に対し、自分は一族のハシクレとして畏敬の念を持ち、上記のように理解しているということです(^ω^)


【参考】

官位一覧
http://www.geocities.jp/somanoho/kani.htm
武家官位
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AE%B6%E5%AE%98%E4%BD%8D
官位
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%98%E4%BD%8D


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「小田喜衆の眞田」リターンズ [中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]

あー、前にウチの先祖衆が「小田喜衆」と呼ばれ、
大多喜町史に掲載されていることを、このblogにも書きましたが、
あの話は2016年の現在から数えて、遥か426年も前の話です
その後、先祖達は故郷の三原郷(現 南房総市和田町)に戻り山奥にこもり帰農し、
本家・本家筋一族揃ってひっそり(?)と暮らしました
そして近代になり、今から81年前の昭和10年に不思議な縁があり、我が家は再度大多喜町に引っ越してきました
以降ウチは、遠縁の親戚からも「大多喜の眞田」と呼ばれています
それは既に大多喜を出て31年になる現在の自分も「大多喜の眞田」カテゴリーで呼ばれていることもあり、、
「大多喜/おおたき」という地名は、同時に我が家の新たな屋号にもなっているのかもしれませんね
ちなみに現在自分は、その遠い昔の大多喜や勝浦にいた頃の先祖が軍勢率いて進出した界隈に住んでいます
別に自分も狙ってここに住んだわけじゃないんですが、、誠に不思議なご縁です
こちらの氏神さんや、当時の戦友達の霊に誘われたのかな?
何にせよ、まさに「小田喜衆の眞田リターンズ」って感じですな

「大多喜町史」は左の本

149_1637554201_5large.jpg

この272ページに、落胆したウチらのご先祖達の事が書いてあります(;´∀`)
149_2185364226_111large.jpg

里見義康の上総没収、これに伴う大多喜(小田喜)や勝浦などからの撤退、本多忠勝氏への明け渡しについて
当事大多喜城(小田喜城 / 小田木城)にいた正木側の家臣団、
特に「小田喜衆」と呼ばれる房州出の家臣団達は、かなり落胆したようです
まー今でいえばリストラですもんね・・

そんなこんなの背景があり、実は自分の礼服の刺繍は「小田喜 佐奈田」となってます ァ '`,、'`,、('∀`) '`,、'`,、DSC_2303.JPG

「小田喜」とは、426年ほど昔までの大多喜町の地名、
他には「小田木」「小滝」「大滝」とも記す場合があります
「佐奈田」とは、平安時代から鎌倉時代ぐらいまでのウチの家の族名表記、
その後「眞田」表記になっていますね
まーマニアックというかバカバカしいというか、我ながらよくやるわーといった感じですが・・
悠久の時代からの遠い先祖達を敬う気持ちから、
そして現在も自分達が縁あり「オータキのサナダ」と呼ばれることから、このようにしております
(-人-) ムージョージンジン ミーミョーホー ・・ <曹洞宗(禅宗)


【関連日記】
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1000年以上続く村「三原郷 / 御原郷(みはらごう)」千年村データベースに載ってた( ゚д゚ ) [中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]

ネット上をフラフラ周ってて面白いサイトがあったんで紹介

千年村(千年村データベース)
http://mille-vill.org/

このWEBサイトは、なんでも全国の1000年以上続く集落・村をデータベース化したもので、
日本の悠久の歴史が垣間見えて楽しいのですが、
その中に、ウチの遠い先祖が長い間統治していた「三原郷」も掲載されてました
三原郷は、古くは御原郷(みはらごう)と記されています
まー、そこに長く陣取ってたオレたちゃー、ある意味「千年のお墨付き」ってかい?全く
どーりで血が濃いわけだ ァ '`,、'`,、('∀`) '`,、'`,、
ちなみに三原郷の周りにも、やはり「千年村」が沢山ありますわ
この辺り、一体どんだけ歴史深いんだ(;´∀`)
1000-Villagemiharagou.jpg

この「千年村データベース」、解説から引用すると・・
「千年以上にわたり、度重なる自然的社会的災害・変化を乗り越えて、生産と生活が持続的に営まれてきた集落・地域を〈千年村〉と規定し、その収集、調査、公開、顕彰、交流のプラットフォームです。ここでは、その収集にあたり、その基礎として当運動体が作成した『和名類聚抄』の郷名比定地による〈千年村〉データベースについて説明します。」
「〈千年村〉とは、千年以上にわたり、自然的社会的災害・変化を乗り越えて、生産と生活が持続的に営まれてきた集落・地域のことをさします。

千年村プロジェクトは、全国の〈千年村〉の収集、調査、公開、顕彰、交流のためのプラットフォームとして構想されました。東日本大震災後に、優れた生存立地を発見しその特性を見出すことの必要性を感じたことが発端です。関東と関西に研究拠点を持ち、環境・集落・共同体に関する諸分野の研究者・実務者らで構成された千年村プロジェクトによって運営されています。

・・とのこと
優れた生存立地か、確かになぁ・・( ゚д゚ )
郷土史などに書かれているその昔の三原郷は、概ね人々の心も穏やかで、非常に住みやすい土地だったようです
「道に財布が落ちてても誰も盗むものはいない」とか書かれてたなぁ・・
人のものを盗んだり、地域内で争い合ったりするということは、ようは人心が荒れているということ、
それは衣食住などが常に安定していないことが原因だということが多々あるんじゃないでしょうか
その点、元々房総半島南部は、気候が良い上に、山海の自然の幸も豊富、もちろん作物もよく育ちますし、
京の都からの「海の東海道」の、陸路の拠点にもなっていた歴史があります
安心を脅かす敵に対しては、すぐ北面に切り立った房総丘陵の山々が要害のように立ちはだかっており、
北からはおいそれと攻め入りにくいという利点もあったんですよね、
そう考えると、三原郷を含む房総半島南部は、
住環境的にはかなり優れた地だったんじゃないでしょうかね(´・ω・`)

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先祖が夢枕に立ったから、彼らの足跡(そくせき)を知りたいと思った [中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]

自分達の遠い先祖は、千葉県の南房総の豪族(土豪・開拓領主)だったようなのですが、
ホンのちょっと前までは、自分はそんなこと自体に全く興味がありませんでした
そもそも自分はどちらかというと現在&未来志向、
過ぎた過去はあまり気にしない性格で、今とこれからを重視する傾向にあり、
その性分からか、遠い先祖、そして郷土の歴史などには
基本的に興味がわかなかったんですねー

で、なんでいきなり興味を持ち始めたかというと、振り返ると幾つか理由がありまして・・
理由1: 父の死
父が亡くなり、本家の長男でもあった自分に仏事などがドッと伸し掛かってきた
それに伴い、遠縁の家々とも話す機会が増えた
父親が生前自分に話した口伝などが気になりだした
理由2: 弟を励ます
長年闘病生活で死を待つしかなかった病床の弟を励ますネタのひとつとして調べた
理由3: あっち側?の人物との遭遇
「先人」らしき人物が、一時期よく夢枕に立った

・・実はこの「先人らしき人物」との出会い(?)が、今となっては一番大きな理由なんですね~:(;゙゚'ω゚'):

この先人らしき人物は、人生の転機、分岐点などで、非常に気を揉んでたりした時、
または何がしかで行き詰まってしまっている時に、
ほんと、よく夢のなかにフラッシュバックのように出てきたのです
よく見たのは寝入りばなや起きる寸前だなー、ほんといつも同じシーンを何度も見る感じ
それは、具体的にどんなシーンかというと、
ウチの死んだ父親に面影が似た、いかにも古い武士の成りをした黒っぽい小さい帽子を被った男性が、
黒っぽい木の柱で組まれた家(屋敷?)内で、
緑が繁る庭をバックに、こっちを軽く振り向きながら、横目っぽく薄く笑いかけてくる
・・といったシーンです

でも不思議なんですよ、その人物が夢に出ると、いつもフッと笑いかけられて
「按ずるな、子よ」と諭されているような気分になれるんです、
安堵感というか何というか、なんとも巧く表現できないのですが、心底安心でき、落ち着けたのですね
どんな感じで安心できたかというと、、
あぁ、大元の父が来てくれた
彼が笑ってる
なーんだ(今抱えている問題は)
じゃー大したこっちゃないんだな安心 ε- (´ー`*)フッ

・・て感じw
なんでこう思えるのか、そもそもなんで彼が「大元の父」と分かったのか、
そういうことを細かく考えちゃうと色々と謎なんですけどね
でも確信めいた気持ちがあったんですね、
彼は「他人じゃない」「大昔の父だ」っていうw

この人物が夢に出てくれるようになったのは、上記に書いたように「仏事」など、
目に見えにくいけど、かなり重い責任が自分にのしかかってくると同時に、
自分の家の由来が、南房総市の磨崖の五輪塔に縁があるという話を遠縁からも聞いた頃からかな
父が2004年に亡くなり、それから2~3年後、だから2006年 or 2007年ぐらいでしょうかね

そしてあまりに何度も同じシーンで同じ人物を見るので、
その人物の服装や黒い帽子は詳しく覚えられておりまして、
その後色々調べたら、それらのいでたちは袴に烏帽子姿と解り、そして携帯している刀の形などからも、
どうもいつも顔を出してくれる人物は、
平安時代や鎌倉時代の武士(豪族)だなーという自分的な理解に達しました
まーそもそも歴史に全く興味が無かったんで、
最初は「ヤケにレトロな服着た爺さんが夢に出たな?」とか思ってたぐらい
当時はそれぐらい全く歴史的な知識がなかったんですよw

で、まぁそれらの記憶を元に合成したのが、下の写真になります
(合成しちゃう自分もある意味スゴイけどw)
sanada-gengo.JPG
sanada-gengo-yume.JPG
※夢のなかの彼は、ほんとはもう少し体が横を向いてるけど・・

この人物が南房総の郷土史に出てくる自分達の祖先、
平安時代後期の眞田源吾(佐奈田源吾)氏じゃないかと、自分は今でも信じてます

心霊的な話でよく言われるのは、
霊とは、メッセージを聞け、理解してくれる人物のところに来て、そして語るそうで・・
その際、当人に分かりやすい姿で現れるともいいます、
前に会った、中野区のシャーマン(中野の母)も
色々見えるイメージや声は「見えないもの」からのメッセージ、
先祖も含めて、見えたり聞こえたりする人のところに来て語りかける

・・と言ってたもんな(´・∀・`)
そんなこんなで、この我らの先祖の代表者らしき人物が、父に似た風貌をし、当時の服装で現れて、
色々追い込まれ、常に怯えていた当時の自分を励ましてくれたんだろうと思っています
少なくとも自分は彼に会えて、恐怖や不安ではなく、心底いつも安心できたしw

そんな彼との不思議な遭遇が、自分が己の先祖の足跡(そくせき)を
知れるだけ知りたいと思った大きな動機になっています

ご先祖さん、
自分はご先祖さんの子孫の一人として、
誠に不甲斐無いヤツでしょうが・・、
これからも宜しくお導きください
(-人-)ムージョージンジン ミーミョーホー ・・
<曹洞宗(禅宗)

あ、ちなみにこのウチの先祖霊の代表らしい彼が夢に出てくるようになってから、
実は他の先祖霊らしき人物達も超レトロなスタイルでよく出てくるようになりましたww

まー、それはいずれまた追々・・

【関連日記】
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三原眞田 / 三浦眞田の故郷 安房の三原郷
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中世豪族 眞田氏のやぐら・磨崖{まがい}五輪塔 南房総市指定史跡
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2013-04-20-1
眞田、真田、佐奈田、、サナダという地名と名字の由来
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2009-09-20-1
佐奈田与一(眞田与一)の子孫について
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2011-07-13
房総の眞田一族にも六文銭を家紋に使う家系があります
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2011-07-13-1
【雑談所】やる夫が真田家に生まれたようです 雑談所その10 【2ちゃんねる より抜粋】
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【関連日記おまけ】
http://www4.plala.or.jp/aran/

110515_145738.jpg

その昔、房総眞田氏の菩提寺だった正文寺に、今も残る磨崖の五輪塔
こちらは昭和56年10月29日に南房総市(当時、和田町)の指定文化財になってます
bousou-sanada-gorinntou.jpg

貞応(じょうおう)の元号の頃、A.D.1222年に、房総眞田氏が建立した諏訪神社
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正文寺(普門寺)の駐車場から見た三原城山城址界隈(神田山界隈)
149_1880792298_81large.jpg

衛星写真で見た、三原城周辺
miharajyou-kaiwai.JPG

平安時代後期の先祖達の足跡(そくせき)
sanada-kiseki1175.jpg

安房国 朝夷郡 三原郷 (現:南房総市和田町と鴨川市江見 周辺)
asaigun-miharagou2016-0531.jpg
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