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佐奈田与一(眞田与一)の子孫について [中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]

 ついこの前の事なのだが、房総の実家に一本の電話がかかってきた
「与一の会をやっている平塚の佐奈田与一の子孫の者だけどお宅は子孫?」
「うちの家紋は三つ引き両(もしくは二つ引き両?)だ、お宅は?」などと・・・
どうやら先祖探しの過程でウチの実家に電話をかけてきたのだろう

しかし、そもそもいきなり電話をかけてきて、人の家伝に関する事をズケズケ聞いてくる無礼な人物に、
そして自分らの家系、先祖に属する人物の子孫だといきなり名乗る訳のわからん輩に、
人生の達人である我がゴッドマザーがまともに答えることはなかろうに…

聞けばイエローページを見て「眞田/真田(さなだ)」の名字を探してかけてきたようで、
そして自分のフルネームも言わず、連絡先も言わず、
一方的に話して聞きたいことだけを聞いて電話を切ったそうだ
彼に言わせるとウチは最終的に「源氏」の系だと思ったみたい
違うよ、ウチは三浦党の佐奈田(眞田)なんだよ、桓武平氏だよw

他にも房総の幾つかの親族の家にも同じような電話があったようで、、
またちょうど同じ時期、与一さんの由縁のある平塚のお寺「天徳寺」にも、
佐奈田与一の子孫と名乗る北海道在住の人物から手紙が送られてきたということだ
手紙の内容は、要は「自分は佐奈田与一の子孫だから、資料を送ってくれ」と…
子孫と名乗れるだけの根拠がある以上、別に今更資料なんていらんじゃろ?
電話の人物と手紙の人物が同じかどうかまでは分からないが、時期が同じことから同一人物の可能性もある

そもそも彼(彼ら?)は、何を根拠に佐奈田与一さんの子孫と名乗るのか?
ウチの実家のゴッドマザーに話した「名字と家紋」だけが根拠なのか?
逆に自分がその電話に出られたのなら、しっかりとその辺りを聞いてみたかったところです
しかもその天徳寺への手紙も、最初、隣の町「秦野市」にある同名のお寺の住所宛に送ったらしい

彼の言う「与一の会」っていうのもそもそも何なんだ?
天徳寺の与一堂を保存する「眞田尊與一保存会(通称:与一の会)」は存在するが、
そこには与一さんの子孫と名乗る「眞田/佐奈田」姓の人なんていない(今は知らんが)

まぁその「謎の子孫氏」が、このblogを読むかどうか分からないけど、
一応、自分もそれなりに「三浦氏族・三浦党の佐奈田/眞田(房総眞田)」の本家筋なので、
(勝手に)代表して、知っている事のうち、お話しして差し支えない事をここでお伝えします

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●佐奈田与一さんの子孫について

このblogで前にも書きましたが、与一さんの子孫は、もう存在しないといえます
より間違いのない書き方にするのなら、
「佐奈田と名乗る佐奈田与一の直系は存在しない」というところでしょうか
正確には彼より2~3代目以降は、皆、他の三浦党の名字(岡崎 or 土屋など)になっています
その中でも現在まで与一さんの子孫としての伝承を持つのは、
神奈川県の某地区に住む陶山(すやま)家の一部(一軒)のみです

前に念のため、平塚市の博物館にもご協力をいただき、平塚の郷土史料などで、
与一さんの孫以降、その地を治めた様々な武将達の配下に
「佐奈田/眞田(さなだ)」を名乗る人物がいるのか確認をしていただいたことがあるのですが、
やはり平塚界隈では「佐奈田/眞田(さなだ)」と名乗る武士は一切存在しませんでした

また、現在の佐奈田の村「平塚市の真田地区」の、佐奈田与一由縁のお寺「天徳寺」さんにお伺いしても、
この地域一帯には「さなだ」と名乗る家や、与一さんの子孫だという人は、
把握している中では存在しないとお聞きしております
何より古くからの歴史のあるお寺さんです、逆に与一さん由縁の話であれば知らない訳がありませんね
つまり、今から600~700年ほど前までには、
佐奈田と名乗る与一さんの方の流れは完全に終わってしまったのです




●佐奈田与一さんの「佐奈田/眞田(さなだ)」姓について

岡崎義実さんの息子である与一さんは当初、「岡崎」を当然のごとく名乗っておりました
その後、岡崎義実さんの治める岡崎郷の中の佐奈田村に、故あり布陣する形になり、
その時点で彼は佐奈田与一(義忠)と名乗りました
それまでに岡崎の家の出の人物には「佐奈田」と名乗る者は過去におりません
そして与一さんと入れ変わる形で、
元々佐奈田の村に住んでいた私らの直系の先祖である「佐奈田(眞田)」一族郎党が、
同じ三浦党の勢力範囲内の安房国に移っていったようです

共に平安時代末期の出来事、
源頼朝公が平家に反旗を翻す準備に伴う三浦党の布陣だったのかもしれませんね



●私達「房総の佐奈田/眞田(さなだ)」について

私達の一族、いわゆる「房総の佐奈田(さなだ)」は、
佐奈田与一さんが岡崎郷佐奈田村に入る以前より、既に佐奈田の地にいた土豪(小豪族)であったようで、
故に一族の呼称を古より「サナダ」としております
結果的に、「佐奈田/眞田(さなだ)」と名乗る、日本でもっとも古い一族なんじゃないでしょうかね
(他にも実田/佐那田/佐名田/狭名田など多数の表記あり いずれも読みは「サナダ」) 

また、ウチの先祖が房総に移動した経緯については諸説ありますが、
三浦党は当時の東海道の海路(浦賀水道など)を牛耳る豪族であり、
その末端である安房を重視したものではないかとも考えられます
安房は古来より、四国の阿波から渡ってきた忌部氏を祖とする豪族や、
三浦党と敵対する大豪族(長狭さんなど)もおり、
それらに睨みを効かすための、必要に迫られた故の布陣だったのかも?とも考えております
そして、そもそもの領地を明け渡すことの裏には、お隣さん(?)の岡崎義実さんの娘さんや、
その近しい人々との婚姻などを通し、既に親密な親族となっていた可能性が非常に高く、、
また、私達の直系の先祖が相模(平塚)から安房に移動する事は、
単に岡崎家に隣接する、もしくはこの時期既に岡崎家郎党に取り込まれていたウチの直系の佐奈田家との、
その親戚同士内の取り決めなどという次元の話ではなく、
その更に上位レイヤーである「三浦党」全体での大きな戦略だった可能性も考えられます
房総に移った後すぐに菩提寺である正文寺や三原城、
そして諏訪神社などを比較的短期間で建立している事実が、その可能性を匂わせています
史実によると、当時の安房に渡ってきた佐奈田(眞田)の頭領、佐奈田源吾(眞田源吾)さん、
そして源吾さんの次世代で、上記の何もかもを創っているようなのです
幾ら平安時代末期の動乱の時期の話とはいえ、これらを作るのには
莫大な費用と労力・人手が必要だったでしょう
しかも在地豪族、それも三浦党と敵対関係にある大豪族「長狭氏」の真ん前に、
それこそいきなり割り入って布陣したようです
移って早々、その地元の住民に「黙って協力せよ」なんてストロングスタイルはできないでしょうし、
そのバックには資金から何から、三浦党全体からの様々な、
そして相当な支援・根回しがあったと考えるほうが自然なような気がします

まぁウチはこのような経緯の一族であり、
かの佐奈田与一さんを一族としてもかなり近しく思っている縁者が多いです
いわゆる「親戚のおじさん」のようなニュアンスなのでしょうね
逆に三浦党内で、鎌倉時代以降、佐奈田の名を持つ一族は、
基本的には房総の佐奈田(眞田)しか残っていないということもあり、
その流れから与一さんも私達の先祖の一人として考えている人も多く、
房総の眞田の一部(富津界隈の衆など)では、
平塚の天徳寺さんに定期的にお参りに行かれる方が今でもいるとのことです

そもそもこの日本の歴史の中で一般的な名字の発祥の時期とも言える時代に、
故なければ同じ族名(名字)のものが、同じ時期に、
しかも同じ三浦党内に存在する訳はない
んですよね



●「謎の子孫氏」にメッセージ

冒頭の「謎の子孫氏」が根拠としているらしい家紋と「さなだ」の名字についてですが、
佐奈田与一さんの使ったとされる家紋は「丸に三つ引き両」、
これは三浦党の紋でもあるので、三浦党に縁のある様々な名字の家々を中心に、
現在では日本中でかなり広く使われている物です

また、「さなだ」という名字に関しては、
その由来の地は日本国内で確認できるだけで少なくとも五か所ほどあり、
それぞれの地からも「さなだ」と名乗る人々が、その発生年代はまちまちですが
それぞれ広がっていったものと推測できます
(※参考1:「眞田、真田、佐奈田、、サナダという地名と名字の由来」 http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2009-09-20-1

このような経緯から、残念ながら家紋と「さなだ」という名字だけでは、
与一さんの子孫とはいえないのではないでしょうか
第一家紋なんて、よくよく家系を調べてみると案外複数あったりするものです

ウチの家紋の場合、様々な意味で割と「濃い」本家筋ではありますが、
その後の土着武士として細々と生き残る過程で、
その一時代、戦国時代末期に仕えた殿様である里見さんや正木さんから拝領紋としていただいたものがあり、
現在はその拝領紋である笹竜胆を「表紋」として使っています
そしてたまに裏紋として、三つ引き両を使う場合もあるようです(洒落で使っているのかな?)
(※参考2:「房総の眞田一族にも六文銭を家紋に使う家系があります」 http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2011-07-13-1

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佐奈田与一さんという、今の時代ではかなりマニアックな武将の子孫と名乗る人の登場にも驚きましたが、
もし私達三浦党の佐奈田(眞田)と関係があるのであれば、
ひょっとしたら佐奈田与一さん、つまり岡崎与一さんの方ではなく、
私達「房総の佐奈田/眞田」と同じルーツなのかもしれませんね、

正直確認できるだけで900年近く続いてますから…

【関連日記】
三浦党 房総眞田氏、郷土史などに出てくる先人達の名
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2014-09-30
中世から近世、小豪族のウチ「房総 佐奈田/眞田」先祖達の生き残りの歴史
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2012-07-19
三原眞田 / 三浦眞田の故郷 安房の三原郷
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2015-12-10-1
中世豪族 眞田氏の三原城 そして神田山の三原城山城
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2013-01-01
中世豪族 眞田氏のやぐら・磨崖{まがい}五輪塔 南房総市指定史跡
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2013-04-20-1
眞田、真田、佐奈田、、サナダという地名と名字の由来
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2009-09-20-1
佐奈田与一(眞田与一)の子孫について
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2011-07-13
房総の眞田一族にも六文銭を家紋に使う家系があります
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2011-07-13-1
【雑談所】やる夫が真田家に生まれたようです 雑談所その10 【2ちゃんねる より抜粋】
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2015-01-14-1

[中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]カテゴリ一覧
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/archive/c2300213675-1

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